中世に富士見市付近を本拠に活躍した難波田氏の居城跡である「難波田城公園」。行かれたことはあるでしょうか。鎌倉時代の初期に現在の入間市にあった「金子郷」を本拠にしていた武士団の一人である金子小太郎高載が、当地に移住して難波田姓を名乗ったのが始まりとされています。

 「新編武蔵風土記稿」という歴史書には築城から廃城に至るまでの経過や城郭の構造にも触れています。途中、主家の扇谷上杉氏の敗戦などにより支配者が代わりましたが、戦国時代末期の小田原征伐によって北条氏が敗れた際、武蔵松山城の落城(1601年)とともに廃城になったとされています。

 昭和361961)年に県の旧跡に指定され、その後、市が城跡の3割ほどを整備して平成122000)年に公園としてオープンしました。

 この付近の住所は、下南畑となっていて、難波田ではなく南畑の字をあてています。この地の開拓は奈良時代、平安時代にさかのぼるとされ、古く、当時の条里制の名残とみられる地名が残っています。荒川や新河岸川に囲まれてしばしば水難を受けたことから「難波田」の名が付いたとされています。

 江戸時代に入ってからもしばしば河川が氾濫し水難に遭うため、村人たちが「難波田」という名前が悪いのではないかと考えて、江戸の中期に「南畑」という字に改めたと言われています。また、南畑には「上南畑」と「下南畑」という地名がありますが、これは川越を中心として付けられたもので、川越に近い方が上南畑となっています。

 難波田城公園や同資料館では、地元の方などに講師になっていただいて、様々な昔体験をすることができる「ふるさと体験」とか、土日祝日には、子供も大人も手軽に楽しめる「ちょこっと体験」などを開催しているそうです。ほかにも古民家に泊まって、手打ちうどん作りや五右衛門風呂など昔の暮らしを体験する「古民家宿泊体験」、本物の鎧を試着する「よろいを着てみよう」など、いろいろな企画イベントを実施しているそうです。(滝川記)

難波田城公園の水堀と土塁DSC_0972