この本の著者である大日方純夫氏は、1978年~1982年にかけて早稲田大学史編集所嘱託として「小野梓全集」全5巻の編集に従事、現在早稲田大学文学学術院教授。

 本書は、Ⅰ 生い立ちから米英留学後、Ⅱ 少壮官僚としての活動、Ⅲ 在野活動、Ⅳ 学校・書店・立憲改進党の危機、ⅴ 小野の人と思想 他の構成になっているが、紙面の関係で、印象に残った「①父の遺訓の影響」、「②留学を支えた人たち」、「③東洋館書店の窮状を救った人たち」、「④教育論」について特筆したい。

 

父の遺訓の影響

 小野梓は、15歳の時に父を亡くした。父は重篤となった死去前夜につぎのように言ったとされる。「わが家は新田義貞の末裔であり、南朝忠臣の末裔なので、自分も尊王討幕に少なからず尽力してきた。しかし、不幸にも病気となって明日にも死ぬかもしれず、志を空しくせざるを得ない。これは天命だから恨みはないが、王家回復の事業をみることなく終わるのは残念でたまらない。お前が自分の子なのだから、その志しを継ぎ、お前の身をもって王家と国家のために尽しなさい。身をもって犠牲とし、これを国家の用に供するのは、男子第一の栄誉なのだ。」 父が遺した遺訓「その身を国家の用に供すべし、書を活用する人となり、書を読む人となるなかれ」は終生小野梓の心を離れることなく、当代随一の憲法書「国憲汎論」を著し、東洋館書店を開業して良書の普及に努めることにつながったと思われる。すばらしい父を持ち、父を尊敬する小野梓の姿は、ややもすると希薄となってきている現代の親子関係に示唆を与えるものがある。

 

留学を支えた人たち

 小野梓のアメリカ行きの船には、アメリカで外債募集事業を担当する大蔵少輔吉田清成の一行も乗船しており、その随行者の一人に栃木県の旧黒羽藩主(元栃木県知事)大関増勤がいた。小野梓の留学を支えたのは、義兄小野義真(遠縁で妻の兄)・中村重遠・岩村通俊の人たちとされ、義真が岩崎弥太郎の大番頭であったことからもうなずけるが、大関増勤が渡米を志している小野の学資(当時1年分の学費1,000ドルとニューヨークまでの旅費378ドル)を何故提供したのか経緯は不明である。小野梓と同い年の大関増勤は、志を同じくする小野梓に共感したのであろうか。いずれにせよ小野梓の留学を支えた資金の大きな一つであることは間違いなく、印象に残った。しかし、大関増勤は留学後、病気となって1872129日には帰国の途についたので、学資を絶たれた小野梓は経済的窮迫に追い込まれていたものと推察される。その後、大蔵大丞岡本健三郎が大蔵省官費留学生への採用を請け負ってくれてニューヨークからロンドンへ赴いた。西洋人から250ドルを借りて急に返済を迫られたところ、大蔵省租税尞七等出仕由良守応から借りた。大蔵省少輔吉田清成が大蔵省の留学生の配置や学費に関して意見を述べ、対策を講じていたものとみられる。

2020.2.7 嶋田良夫記)

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