早稲田で学んだ一人として、大学設立の最大の功労者である小野梓の生涯について知りたく、大日方純夫「小野 梓-未完のプロジェクト」を読んだ。小野梓先生の生涯については、富士見三芳稲門会設立10周年記念誌に寄稿しているが、参考とする文献は古いものが多く、本書は2016年に発行された比較的新しいものであったので、手に取ってみた。

 小野梓(1852-1886)は、ペリー来航の前年1852(嘉永5)年、土佐国(高知県)宿毛に生まれ、1886(明治19)111日、肺結核のため3310ヶ月で早世した。明治の平均寿命が44歳であるが、それにしても短い生涯であった。

 小野梓は明治初年、米・英両国に留学し、帰国後、共存同衆(平等な横の関係で結ばれ,メンバーが自由に交流し、相互に刺激・啓発しあう組織。後に実業界からは、三菱の岩崎弥太郎と銀行家の原六郎・熊谷武五郎が参加して、当初の英留学者中心から次第に官吏層の比重が増していった。)という文化啓蒙団体を仲間とともにつくって、幹事をして奔走。その後、司法省の官僚となって政府に入り、共存同衆の活動を継続して、民間側と政府側の両方から日本社会の近代化を図るために全力を注いだ。やがて参議大隈重信の知遇と信頼を得て、そのブレーンとして力を発揮したものの、「明治14年の政変(北海道開拓使官有物の払い下げ問題で天皇の裁可を得ていたものを国会で中止したとして大隈重信を罷免(国家構想をめぐる政府の内部対立))」後に小野も辞職して下野、立憲改進党を結成して東京専門学校の設立に参加した。

 小野梓の功績は、大隈を党首とする政治運動組織、立憲改進党の結成であり、大隈を強力なバックボーンとする教育機関、東京専門学校の設立であり、自らが経営編集を担う出版社、東洋館書店の開設である。これは、小野梓が政府に入ってから世を去るまでのたった43か月で成し遂げられた。

 立憲改進党は、その後の近代日本を貫流して、政党による政治とする現在の政治に至っている。また、東京専門学校は近代日本の高等教育の、特に私立大学の顕著な水脈として、後の早稲田大学として巨大な知と人の流れをかたちづくっている。さらに、東洋館書店は冨山房として引き継がれ、近代日本を代表する出版社となっている。(2020.2.7 嶋田良夫記)

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