明治22年というから130年余り前、現在の富士見市の市域には八つの村があったが、この年の町村制実施で、鶴瀬村、難波田村、水谷村の3村となった。この3村が昭和31(1956)年の町村合併で一つの村となった。その際、村名を一般公募した結果、富士見村が誕生した。
名前の由来は「富士山が良く見える場所」で、わかりやすいが、一般公募でほかにどんな名前が出たのか、など名前が付いた詳細は分からない。
昭和30年代から日本経済が高度成長期に入って、我がまちも東京への通勤圏となり、住宅公団(当時)が団地を造成するなどによって人口が急増した。村の誕生時には人口は1万人余だったが、村から町になった昭和39(1964)年には、人口は2万人超に。昭和47(1972)年には県下35番目の市となったが、その時には5万9千人になっている。
その後も人口は増加の一途で、現在の人口は11万人を超えている。
地理的に見てみると、当市はほぼほぼ菱形をしていてその西側半分が武蔵野台地の末端に位置している。そこから東半分の「荒川低地」に向かって多数の湧き水が流れ出して、谷や沢を形成している。そのため、「沢」「水」「谷」といった地名が非常に多いのが特徴だ。
西側の台地は、新河岸川に流れ込む小河川の砂川堀と富士見江川によって三つの支台に分かれている。富士見市史によると、これを北から勝瀬支台、鶴馬支台、水子支台と呼ぶ。
付近には、関東ローム層の下の礫層から多くの湧き水が流れ出し、旧石器、縄文、弥生各時代の遺跡が見つかっている。遺物も多数出土し、古代人がその時代時代に集落を形成していたと思われる。市の湧き水ガイドブックによると現在でも湧き水は市内に30数か所残っているという。
コメント