書籍、雑誌編集者として、いくつかの転機を乗り越えて45年余。私がかかわらせていただいた、早稲田出身の先輩達のご活躍をアットランダムに渉猟してみることにしよう。

一番印象的な人は、朴訥とした栃木なまりの立松和平さん、62歳で早逝、しかし、晩年は『道元禅師』で泉鏡花文学賞と親鸞賞を同時受賞。若い時から数々の権威ある文学賞を受賞して文壇での地位を築いてきただけに悔やまれる。早稲田中退の五木寛之さんの著『親鸞』が他力の人なら、道元は自力の人だ。皆さん、最後は仏教書に入ることが不思議だ。

立松さんは、毎年正月に東大寺に逗留して坐禅に勤しむ人だった。足尾鉱毒事件という日本初の公害事件で有名な田中正造を描いた、立松氏の小説に『毒―風聞』がある。渡良瀬川に棲むナマズやカエルなど小動物の目を通じて日本の闇の世界を見事に描いた作品だ。立松氏は、後年、足尾銅山の煙害で荒廃した山々に木を植える活動もしていた。どんなに原稿書きで忙しくてもお顔を出していた。氏は、環境問題にも持ち前の行動力を発揮した。世界自然遺産に登録された知床半島の毘沙門天堂の建立に尽力、京都仏教協会の有馬頼底師や経済人、地元の方を巻き込んで、自然保護、平和を祈願した人でもあった。

筆者岩下は、立松さんの急逝を惜しむ有馬師の言葉を何度か聞いた。「わっぺいちゃん」と有馬氏は言っていたほど親しかった。そして、「トラック野郎」「任義なき戦い」の菅原文太さん。有馬師は菅原さんを「文ちゃん」呼んでいた。文太さんも早稲田を中退し、のちに俳優になった人だ。俳優を辞めた後は山梨県で有機農法をしたり、一時は政界進出も噂されたりしたほどだ。ただ、有馬氏には「そんな気はさらさらない」と話していたと聞く。どちらにも共通しているのは行動力の人で、書斎派ではなくて、自分の身体で経験しそこで会得したものを糧に物を書く、演じる。邪念がなく、禅でいう「本来無一物」を貫いていると言う。

立松氏とは真逆の生き方をした漫画家の弘兼憲史さん。『課長島耕作』から『相談役島耕作』までを長期にわたり発表、漫画としては4000万部を記録する異例のヒットシリーズだ。そして、『黄昏流星群』というシニア向けの漫画も1995年から今に至って長期に連載している。小学館、講談社などの多くの漫画賞を受賞している。だからといって、大御所ぶらない。「人は人、自分は自分」といった良い意味でも個人主義を貫いている。

近著『弘兼式60歳からの手ぶら人生』、これは団塊シニアに大いに共感された。が、大学生の弘兼さんは当時学生運動にはまったく興味がなかったと話してくれた。団塊の世代がみな学生運動にうつつを抜かしたかというと、そうでない人やノンポリも多かったという。

最後に女性で下重暁子さん。80歳を過ぎてようやく自分が納得できる本を書けるようになったという。「丸くなったなんて言われたくない」と、精神的不良のプライドをいかんなくお話ししてくれた。姉御肌の女性は早稲田の真骨頂だ。下重さんに、仙厓さんの話をする。「60歳は人生の花。70歳を迎えたら留守だと言え。80歳で迎えが来たら、早すぎると言え。90歳で迎えが来たら、急ぐなと言え。100歳で迎えが来たらボツボツ考えようと言え」と。下重さんは、面白いとメモをとってくれた! 私は作家のすごい好奇心に脱帽した。(岩下賢作 74年教育卒)

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